chishitsu
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2009年5月12日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:リンク
核実験史
未来のゆくえ。

2009年現在。以下の国が核保有国である。
核保有国から未核保有国、テロ組織への核兵器流出を防止し食い止める措置が求められる。
ルーズベルトも言っている。一番恐ろしいのは、「恐れ」そのものである。
1945年7月16日、ニューメキシコ州アラモゴードで世界初の核実験が行われた。詳細はマンハッタン計画を参照。
実験コードネーム「トリニティ」。爆弾コードネーム「ガジェット」。(長崎に投下された「ファットマン」と同型のプルトニウム爆縮型)
1946年7月、原爆実験クロスロード作戦。この実験に使用するため、日本の戦艦長門など約70隻の艦艇が集められた。 1回目(エイブル)の実験は7月1日、2回目(ベイカー)は7月25日に行なわれた。 これ以後13年間にビキニ、エニウェトクの二つの環礁で66回の核実験を行った。
1954年3月1日、ビキニ環礁で行われた15Mtの水爆実験(キャッスル作戦)による降灰(いわゆる「死の灰」)を日本のマグロ漁船・第五福竜丸が浴び、被曝した。 このことは、日本で大きな社会問題となり、映画「ゴジラ」は、この実験に対する抗議の意味も含まれていたとする話もある。
南太平洋での実験は費用が掛かるため、トルーマン大統領の提案により1951年にネバダ州の砂漠にネバダ核実験場 (NTS,Nevada Test Site) が設置された。その後、フォールアウト(放射性降下物)の測定や建物・動物などへの影響を調べるための実験が地上・地下含めて928回行われた。
しかし、核実験の振動がラスベガスの建物に影響を与えたため、1968年1月19日に実験場の北130Kmにあるトノパー (Tonopah) 近郊で地下実験"FAULTLESS"が行われた。5Mtの爆発実験の前段階として行われ、核出力はアメリカ合衆国本土では最大の1 Mtであった。しかし、衝撃で地上に大きな断層ができてしまったため、5Mtの実験はアラスカのアムチトカ島で行われることになった。
1997年7月2日 地下実験場で初の臨界前核実験。
1965年から1971年までに3回実験が行われた。1971年11月6日の"CANNIKIN"は地下実験最大の5Mt(迎撃ミサイル「LIM-49A スパルタン」のW71核弾頭を使用)であり、各国の抗議を引き起こした。グリーンピースは、この実験を契機として発足した。
1955年5月14日 ウィグワム作戦 カリフォルニア州サンディエゴ南西500マイルで行われた、核爆雷の検証を目的とする実験。 1961年から1973年まで、衝撃波の測定や天然ガス採掘など、平和利用の実験のために小規模(150kt未満)の原爆実験がアメリカ各地で行われた(プラウシェア計画、Operation Plowshare)。
* 1949年8月29日 初の原爆実験(長崎型)。22kt。コード名"RDS-1"。アメリカ側のコード名"ジョー(=スターリン)-1"。
* 1953年8月12日 『初の』水爆実験。400Kt。コード名"RDS-6"。アメリカ側のコード名"ジョー4号"。
放射性降下物の分析より核融合ではなかったと言われている。
* 1955年11月22日 水爆実験。1.6Mt。コード名"RDS-37"。アメリカ側のコード名"ジョー19号"。
ソ連初の水爆実験成功。
* 1961年10月30日 ノヴァヤゼムリャで、史上最大の水爆実験が行われた。爆弾(ツァーリ・ボンバ)の核出力は50 Mtでファットマンの3000倍近い出力。地震計による観測では、その規模はマグニチュード7.0の地震に相当する。
モンテ・ベロ島(オーストラリア)での核実験
* 1952年10月3日 初の原爆実験。
エミュー(オーストラリア)での核実験
1953年実施
マラリンガでの核実験
1957年にアントラー作戦が行われ、3度の実験を行っている。
クリスマス島での核実験
1957年5月15日 初の水爆実験。
サハラ砂漠での核実験
1960年2月13日 初の原爆実験。イスラエルの科学者が同席。事実上イスラエルとの共同実験。
1968年8月24日 初の水爆実験。
フレンチポリネシアでの核実験。
1966年から1996年1月までに約200回実施。
60年代初頭に設立した第9学会(北西核兵器研究設計学会)により、核兵器の開発が進められた。1964年以来、ロプノール湖は核実験場として使われた。1996年までに核実験が45回に渡り実施された。それらのうち1980年までに行なわれた核実験は、地下核実験ではなく地上で爆発させた。そのため、新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)の広い範囲の土地が放射能で汚染され、現地に住む人間も被害を受けた。
ロプノールでの核実験
* 1964年10月16日 初の核実験。
* 1967年6月17日 初の水爆実験。
* 1974年5月18日 ラジャスタン州ポカラン砂漠で初の原爆実験。詳細はインドの核実験 (1974年)を参照。
* 1998年5月11日・13日 熱核反応装置(水爆に相当)実験に成功。詳細はインドの核実験 (1998年)を参照。
* 2009年5月25日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で2回目の核実験。
出典:wikipedia

2009年現在。以下の国が核保有国である。
- アメリカ合衆国
- ロシア
- イギリス
- フランス
- 中華人民共和国
- インド
- パキスタン 朝鮮民主主義人民共和国
核保有国から未核保有国、テロ組織への核兵器流出を防止し食い止める措置が求められる。
ルーズベルトも言っている。一番恐ろしいのは、「恐れ」そのものである。
アメリカ合衆国
ニューメキシコでの核実験
1945年7月16日、ニューメキシコ州アラモゴードで世界初の核実験が行われた。詳細はマンハッタン計画を参照。
実験コードネーム「トリニティ」。爆弾コードネーム「ガジェット」。(長崎に投下された「ファットマン」と同型のプルトニウム爆縮型)
マーシャル諸島での核実験
1946年7月、原爆実験クロスロード作戦。この実験に使用するため、日本の戦艦長門など約70隻の艦艇が集められた。 1回目(エイブル)の実験は7月1日、2回目(ベイカー)は7月25日に行なわれた。 これ以後13年間にビキニ、エニウェトクの二つの環礁で66回の核実験を行った。
1954年3月1日、ビキニ環礁で行われた15Mtの水爆実験(キャッスル作戦)による降灰(いわゆる「死の灰」)を日本のマグロ漁船・第五福竜丸が浴び、被曝した。 このことは、日本で大きな社会問題となり、映画「ゴジラ」は、この実験に対する抗議の意味も含まれていたとする話もある。
ネバダ州での核実験
南太平洋での実験は費用が掛かるため、トルーマン大統領の提案により1951年にネバダ州の砂漠にネバダ核実験場 (NTS,Nevada Test Site) が設置された。その後、フォールアウト(放射性降下物)の測定や建物・動物などへの影響を調べるための実験が地上・地下含めて928回行われた。
しかし、核実験の振動がラスベガスの建物に影響を与えたため、1968年1月19日に実験場の北130Kmにあるトノパー (Tonopah) 近郊で地下実験"FAULTLESS"が行われた。5Mtの爆発実験の前段階として行われ、核出力はアメリカ合衆国本土では最大の1 Mtであった。しかし、衝撃で地上に大きな断層ができてしまったため、5Mtの実験はアラスカのアムチトカ島で行われることになった。
1997年7月2日 地下実験場で初の臨界前核実験。
アムチトカ島での核実験
1965年から1971年までに3回実験が行われた。1971年11月6日の"CANNIKIN"は地下実験最大の5Mt(迎撃ミサイル「LIM-49A スパルタン」のW71核弾頭を使用)であり、各国の抗議を引き起こした。グリーンピースは、この実験を契機として発足した。
その他の核実験
1955年5月14日 ウィグワム作戦 カリフォルニア州サンディエゴ南西500マイルで行われた、核爆雷の検証を目的とする実験。 1961年から1973年まで、衝撃波の測定や天然ガス採掘など、平和利用の実験のために小規模(150kt未満)の原爆実験がアメリカ各地で行われた(プラウシェア計画、Operation Plowshare)。
ソビエト連邦→ロシア
セミパラチンスクでの核実験
* 1949年8月29日 初の原爆実験(長崎型)。22kt。コード名"RDS-1"。アメリカ側のコード名"ジョー(=スターリン)-1"。
* 1953年8月12日 『初の』水爆実験。400Kt。コード名"RDS-6"。アメリカ側のコード名"ジョー4号"。
放射性降下物の分析より核融合ではなかったと言われている。
* 1955年11月22日 水爆実験。1.6Mt。コード名"RDS-37"。アメリカ側のコード名"ジョー19号"。
ソ連初の水爆実験成功。
ノヴァヤゼムリャでの核実験
* 1961年10月30日 ノヴァヤゼムリャで、史上最大の水爆実験が行われた。爆弾(ツァーリ・ボンバ)の核出力は50 Mtでファットマンの3000倍近い出力。地震計による観測では、その規模はマグニチュード7.0の地震に相当する。
イギリス
モンテ・ベロ島(オーストラリア)での核実験
* 1952年10月3日 初の原爆実験。
エミュー(オーストラリア)での核実験
1953年実施
マラリンガでの核実験
1957年にアントラー作戦が行われ、3度の実験を行っている。
クリスマス島での核実験
1957年5月15日 初の水爆実験。
フランス
サハラ砂漠での核実験
1960年2月13日 初の原爆実験。イスラエルの科学者が同席。事実上イスラエルとの共同実験。
1968年8月24日 初の水爆実験。
フレンチポリネシアでの核実験。
1966年から1996年1月までに約200回実施。
中華人民共和国
60年代初頭に設立した第9学会(北西核兵器研究設計学会)により、核兵器の開発が進められた。1964年以来、ロプノール湖は核実験場として使われた。1996年までに核実験が45回に渡り実施された。それらのうち1980年までに行なわれた核実験は、地下核実験ではなく地上で爆発させた。そのため、新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)の広い範囲の土地が放射能で汚染され、現地に住む人間も被害を受けた。
ロプノールでの核実験
* 1964年10月16日 初の核実験。
* 1967年6月17日 初の水爆実験。
インド
* 1974年5月18日 ラジャスタン州ポカラン砂漠で初の原爆実験。詳細はインドの核実験 (1974年)を参照。
* 1998年5月11日・13日 熱核反応装置(水爆に相当)実験に成功。詳細はインドの核実験 (1998年)を参照。
パキスタン
1998年5月28日・30日 チャガイで初の原爆実験。5月30日の原爆実験はプルトニウム型である事が判明しており、北朝鮮の代理核実験である可能性が高い。[2]詳細はパキスタンの核実験 (1998年)を参照。朝鮮民主主義人民共和国
* 2006年10月9日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で初の核実験。* 2009年5月25日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で2回目の核実験。
出典:wikipedia
2009年5月 2日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:学会
温泉発電
アメリカのオバマ大統領がグリーン・ニューディール政策をかかげ、風力や太陽エネルギーにエネルギー政策をシフトしようとしていますね。
資源もたくさんあります。
電力1つあげても、火力、原子力、水力とさまざまなエネルギーを元に各家庭に貴重な資源として送り届けられています。
温泉発電というものもあります。日経新聞で以下のような報道がありました。
日本は温泉資源の宝庫。温泉の町では、温泉発電の実施に取り組んでいます。
代替エネルギーとして理想的です。いままできちんと活用されてこなかった熱を用いて発電に利用するのが大きなメリットです。
温泉発電は沸点の低いアンモニアに水をまぜた水溶液を温泉熱で蒸発させます。そこで発生する上記でタービンを回し発電する仕組みです。
既存の海洋温度差発電の発展系ですね。
温泉の多くは人がとても入りきれないほど高温なものが少なくないため、そういった温泉水はそのまま捨てられていました。
もったいない、ということでの活用です。
今まで浸かるだけだった温泉が、発電の一手段として活用される日はそう遠くないでしょう。
二酸化炭素の排出量を抑えつつ、持続可能な社会の発展を目指す上で温泉発電は以下の2つの点を示してくれます。
1 今まで捨てられていたエネルギーへの再評価
2 海洋温度差発電、地熱発電など他アイディアの転用
草津温泉に行きたいな。
資源もたくさんあります。
電力1つあげても、火力、原子力、水力とさまざまなエネルギーを元に各家庭に貴重な資源として送り届けられています。
温泉発電というものもあります。日経新聞で以下のような報道がありました。
群馬県の草津温泉。セ氏95度の源泉をわき水で60度まで冷まして各旅館に給湯している。東芝は温泉とわき水の35度の温度差で発電する出力150ワットの装置を試作し、実験に取り組んでいる
お湯とわき水は終日利用でき、日照時間が限られる太陽光発電に比べ『単純比較で発電量は6倍になる』(東芝の見解)
日本は温泉資源の宝庫。温泉の町では、温泉発電の実施に取り組んでいます。
代替エネルギーとして理想的です。いままできちんと活用されてこなかった熱を用いて発電に利用するのが大きなメリットです。
温泉発電は沸点の低いアンモニアに水をまぜた水溶液を温泉熱で蒸発させます。そこで発生する上記でタービンを回し発電する仕組みです。
既存の海洋温度差発電の発展系ですね。
温泉の多くは人がとても入りきれないほど高温なものが少なくないため、そういった温泉水はそのまま捨てられていました。
もったいない、ということでの活用です。
今まで浸かるだけだった温泉が、発電の一手段として活用される日はそう遠くないでしょう。
地熱技術開発は、全国の温泉のうち10%程度が温泉発電システムに対応した高温の湯温になっており、すべてに発電システムの導入が進めば総発電出力が71万キロワットと、火力発電所1基分の出力に相当する規模になると試算している。
二酸化炭素の排出量を抑えつつ、持続可能な社会の発展を目指す上で温泉発電は以下の2つの点を示してくれます。
1 今まで捨てられていたエネルギーへの再評価
2 海洋温度差発電、地熱発電など他アイディアの転用
草津温泉に行きたいな。
2009年5月 2日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:語録
A型インフルエンザ史
豚インフルエンザについてきちんと知識をおさえときました。豚インフルエンザの感染力はぞっとします。致死率7%ってことは...、戦争に巻き込まれて死んでしまうこととそう大差ないですね。
日本国内でもこれから広がるでしょうし、世界全体もパンデミックは必至でしょう。
昔の疫病ウイルスの感染においてはは「デマ」や「噂」が哀しむべき二次災害を引き起こした史実がありますからね。現代をタフに生き抜く上で最低限の情報収集は大切だと思います。
豚インフルエンザはA型ウイルスの感染による豚の感染症です。豚は人や鳥のA型インフルエンザに簡単に感染します。発祥した豚は食欲不振になり発熱を引き起こします。加えて鼻汁、咳、呼吸のみだれも示します。特異的な治療法がないため、対処療法を用います。豚の死亡率は1%以下ですが肺炎の進行があると幼い豚は致死的です。
日本の豚の間で流行しているA型インフルエンザの主な亜型はH1N1とH3N2の2亜型であり、この2亜型に対する不活化ワクチンが開発されています。異なる亜型の豚インフルエンザウイルス株が同時に同一細胞に感染した場合には、遺伝子再集合によって新型インフルエンザウイルスが出現する可能性があります。
過去において、豚インフルエンザが人に最初に感染した最初の発見例は1976年2月にニュージャージー州フォートディクスのアメリカ陸軍訓練基地で死亡した19歳の二等兵の検死によるものです。同基地内で発病が疑われたのは数人でしたが500人以上が感染していることが分かりました。事態を重く見たアメリカ保健衛生当局の勧告に従い当時のフォード大統領は同年10月に全国的な予防接種プログラムを開始しました。予防接種の副作用で500人以上がギラン・バレー症候群を発症し30人以上が死亡したため12月16日にプログラムは中止されましたが、それまでに約4000万人が予防接種を受けました。結局このときの感染は陸軍訓練基地内にウイルスの封じ込めに成功し、外部での流行はなく、豚インフルエンザによる死者は兵士1人でした。
そして、2009年現在。メキシコのコルドバ保健相が同国で豚インフルエンザにより20人が死亡し、さらに40人の死因が豚インフルエンザだった可能性があり調査中だと発表しました。同時にアメリカでも感染例が報告されました。これ以降、メキシコにおける感染例の数が増え4月25日夜にかけて1000人以上の感染と60人以上の死亡が報じられました。さらにメキシコ・アメリカ以外の国での感染または疑いが報告されるようにな、拡大の兆候を見せてました。個人的に憂慮するのは致死率86%(鳥に限った数字です、誤解の内容に )のトリインフルエンザウイルスと豚インフルエンザとの混淆ですが、未だ起きてもいないことを心配するのは不毛ですから、冷静さを保つことが大事です。メキシコ国内で感染が広がっているインフルエンザは豚インフルエンザ、人インフルエンザ、鳥インフルエンザのウイルスの混合体です。ですから、今回問題になっているのは、簡単に豚インフルエンザウイルスというのではありません。
インフルエンザ治療薬のタミフル・イレンザを実施するのみで充分対応できる新型インフルエンザです。この病気を予防するためには患者の隔離が必要。
パニックになる必要はないから、冷静に行動すること、予防が大切です。
日本国内でもこれから広がるでしょうし、世界全体もパンデミックは必至でしょう。
昔の疫病ウイルスの感染においてはは「デマ」や「噂」が哀しむべき二次災害を引き起こした史実がありますからね。現代をタフに生き抜く上で最低限の情報収集は大切だと思います。
豚インフルエンザはA型ウイルスの感染による豚の感染症です。豚は人や鳥のA型インフルエンザに簡単に感染します。発祥した豚は食欲不振になり発熱を引き起こします。加えて鼻汁、咳、呼吸のみだれも示します。特異的な治療法がないため、対処療法を用います。豚の死亡率は1%以下ですが肺炎の進行があると幼い豚は致死的です。
日本の豚の間で流行しているA型インフルエンザの主な亜型はH1N1とH3N2の2亜型であり、この2亜型に対する不活化ワクチンが開発されています。異なる亜型の豚インフルエンザウイルス株が同時に同一細胞に感染した場合には、遺伝子再集合によって新型インフルエンザウイルスが出現する可能性があります。
過去において、豚インフルエンザが人に最初に感染した最初の発見例は1976年2月にニュージャージー州フォートディクスのアメリカ陸軍訓練基地で死亡した19歳の二等兵の検死によるものです。同基地内で発病が疑われたのは数人でしたが500人以上が感染していることが分かりました。事態を重く見たアメリカ保健衛生当局の勧告に従い当時のフォード大統領は同年10月に全国的な予防接種プログラムを開始しました。予防接種の副作用で500人以上がギラン・バレー症候群を発症し30人以上が死亡したため12月16日にプログラムは中止されましたが、それまでに約4000万人が予防接種を受けました。結局このときの感染は陸軍訓練基地内にウイルスの封じ込めに成功し、外部での流行はなく、豚インフルエンザによる死者は兵士1人でした。
そして、2009年現在。メキシコのコルドバ保健相が同国で豚インフルエンザにより20人が死亡し、さらに40人の死因が豚インフルエンザだった可能性があり調査中だと発表しました。同時にアメリカでも感染例が報告されました。これ以降、メキシコにおける感染例の数が増え4月25日夜にかけて1000人以上の感染と60人以上の死亡が報じられました。さらにメキシコ・アメリカ以外の国での感染または疑いが報告されるようにな、拡大の兆候を見せてました。個人的に憂慮するのは致死率86%(鳥に限った数字です、誤解の内容に )のトリインフルエンザウイルスと豚インフルエンザとの混淆ですが、未だ起きてもいないことを心配するのは不毛ですから、冷静さを保つことが大事です。メキシコ国内で感染が広がっているインフルエンザは豚インフルエンザ、人インフルエンザ、鳥インフルエンザのウイルスの混合体です。ですから、今回問題になっているのは、簡単に豚インフルエンザウイルスというのではありません。
インフルエンザ治療薬のタミフル・イレンザを実施するのみで充分対応できる新型インフルエンザです。この病気を予防するためには患者の隔離が必要。
パニックになる必要はないから、冷静に行動すること、予防が大切です。
2009年5月 2日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:業界
膨張する太陽の未来

人の命には始まりがあり、終わりがあります。
太陽にもはじまりがあり、いつか終ります。
人の歴史と、太陽の歴史ではスケールがちがいます。
でも星の生命も、バクテリアの微生物に宿る生命も、本質としては代わりありません。
確実なことは、地球という惑星は太陽の光やそれによって作られるエネルギーに多くを依存しているため、
かの星が寿命を終えたとき、この惑星も役目を終えるでしょう。
太陽は宇宙に生まれてから約46億年たったと言われています。
研究では太陽の光度は徐々に増しています。
20世紀末から21世紀初頭の研究では太陽は約109億年続くとされています。つまり、現在の太陽は人生半ば、といったところです。約63億年後には太陽の中心核で燃料となる水素が消費しつくされるため、太陽の中心核ではなく、その「周囲」で水素の核融合がスタートするとされます。これは、ありふれた恒星の変遷です。
太陽のなかの重力によって収縮しようとする力と核融合反応により膨張しようとする力のバランスが崩れ、太陽は膨張を開始し赤色巨星の新たなフェーズに突入します。
太陽の外側の層は膨張しつつ、水素のからっぽになった中心核は収縮が進みます。
太陽は今のサイズよりも現在の170倍ほどのサイズになるため、水星と金星は太陽に飲み込まれ、たぶん消滅しています。
2009年5月 2日|コメント (0)|トラックバック (0)
カテゴリー:学会